私たち株式会社コスモグラフは人の想いと記憶、感動、そして価値あるモノを受継ぎ、また次の人へ感動を届け、限りある資源を世界中でシェアし、イノベーションを創造することで、より豊かな未来を実現するために日々、邁進しています。

ふじみ野から世界へ

私は大好きな地元、ふじみ野で生まれ育ちました。大学生のとき、一流の「モノ」に出逢い、その魅力に取り憑かれて以来、これに携わる仕事がしたいと思い、会社を立ち上げましたが、その中で、日本のみならず、世界中に自分と同じ思いの人達がいることに気がつきました。想いは国や人種の垣根を超え人を繋ぐ、原点を忘れず、大切な地元と世界へ貢献できるよう、全力で突き進んで行きます。

生い立ちについて教えてください

1997年6月29日、埼玉県ふじみ野市で生まれました。
前日が凄い嵐だったらしく、危うく「嵐」という名前がつけられるところだったとか(笑)

子ども時代ついて教えてください

小学生時代、中学生時代は特にこれといった趣味もなく、普通に友達と遊んでましたね。ザリガニ釣りしたりゲームしたり。

高校生の頃のお話を聞けますか?

高校時代は書道部に所属してました。とは言っても、いつもサボって友達と遊んでいましたけどね(笑)
そんな高校生活を過ごしていた付けが回ってきて、模試で志望校の法学部はD判定で、担任の先生からは落ちるのが落ちだと止められました(笑)
が、好きな分野で人に負けるのがすごく嫌なので、猛勉強した結果、合格しました。
担任、進路指導の先生も驚いてましたね(笑)残りの高校生活はドヤ顔でした(笑)

大学生時代はどうでしたか?

大学時代は法律の勉強にのめり込んでいましたね。法律職の国家資格もいくつか取りましたし、伊藤塾という司法試験の予備校にも通っていて、世間知らずだったため、親からバイトをしろと言われ、たまたまチラシが入っていた学童でバイトをしてみたところ、めちゃめちゃハマりましたね(笑)もう、天職というか、すっごく楽しくて、5年間続けました。(勉強もぼちぼちしてました)

その後は何をしていたんですか?

ロースクール在学中に会社を立ち上げ、もう、こっちの道へ進もうと決心して乗り移りました。当時、両親には猛反対されましたよ。そりゃもう。でも今となっては両親も納得してくれてます。

起業した際に大変だったことを教えてください

まず、取引先やパイプを作るのが大変でしたね。やはり市場が国内規模ではなく、世界規模なので、世界を相手にしないと生き残っていけないと感じたので、世界の主要な都市に取引先を作るのにかなり苦労しましたね。言語の壁、国境の壁、法律の壁。信頼関係。それに数年かかりました。

この仕事をしていてよかったなと思う時はどんな時ですか?

やっぱり、うちを頼ってきたお客さんが喜んでくれた時、お客さんの力になれた時ですね。世界最高クラスの知識、腕、取引先を持って毎日、最先端でバチバチやってますので、うちにしかできない事、国内規模の事業者や中途半端な事業者には真似できない「サービス」それを提供したとき、やり甲斐を感じますし、もっと喜んでもらえるよう、あぐらをかくことなく、成長し続けようと思いますね。